福岡県太宰府市内山

大宰府が置かれた筑紫の地は、日本と大陸の接点に位置し、国内や東アジア全体の動向を敏感に反映し、歴史上重要な役割を担ってきました。「漢委奴(かんのわのなのこくおう)」の金印が後漢(ごかん)の光武帝(こうぶてい)より与えられた奴国、卑弥呼(ひみこ)が一大率(いちだいそつ)を置いた伊都(いと)国など、弥生の昔より大陸との交渉の中心にもなっていました。それは大和朝廷統一後も変りなく、朝鮮半島の情勢を反映してますます重要さを増したことが、様々な歴史資料から伺えます。そんな歴史にも名を刻むほどの有名な太宰府市ですが、その中でも今回は、弊社が位置する内山にスポットライトを当てて紹介していきたいと思います。

宝満山

宝満山は、古の時代より神が降り立つ山として崇められてきました。また、九州で最も登山者が多いといわれています。平成25年10月、宝満山はわが国の歴史上においても大変重要な国家的祭祀が継承されてきた信仰の山「霊山」として、その歴史的・文化的価値が認められ、国史跡に指定されました。

竈門神社

竈門神社は、天智天皇の代に太宰府が現在地に遷された際、鬼門に位置する宝満山に太宰府鎮護のため八百万の神々を祀ったのが神祭の始まりと言われています。主祭神に玉依姫命(たまよりひめのみこと)をお祀りしていることから、竈門神社では「縁結び」、「方除け」、「厄除」の神様として信仰されています。

カエルの行進

宝満山に生息するヒキガエルは春の始め頃に産卵を行い、数週間後には無数のヒキガエルのオタマジャクシが池に溢れます。その2,3か月後に成長したヒキガエル達は約1か月かけて、最大標高差600m(標高829m)、道程約2.5kmを登頂するのです。

TOP